新作VRゲーム『Half-Life: Alyx』の凄さにビビった話をしたい
昨年末に突如発表されたVR専用ゲーム『Half-Life: Alyx』。
13年ぶりのシリーズ最新作ということで、海外を中心に話題になっていた本作。
『Half-Life』も『Half-Life 2』も途中で飽きて詰んでいた僕にとっては、
そこまでテンションの上がるニュースではなかったけど、
せっかくOculus Quest持ってるんだし…。ということで購入してみました。
3月24日の午前2時に解禁されるも、次の日も仕事があるので就寝。
朝起きてなにげなくネットを確認したら、めちゃくちゃ評価が高くてビビる。
「仕事サボってはやく遊びてぇ!」と、はやる気持ちを抑え家を出る。
もんもんとしすぎて仕事がままならない。
夕方家に帰って、スペース確保のために部屋を片し、ゲームを起動させると、
Valveのロゴ表記でお馴染みの、頭にバルブ生やしたスキンヘッドおじさんの巨大な姿が目の前に現れた。
こいつまでVRの恩恵受けてやがるじゃねぇか…!
たかがロゴ表記のくせに強すぎるインパクトに圧倒されまたまたビビる。
タイトル画面で諸々の設定を終えてゲームをスタートさせると、
僕はアパートのベランダに立ち、西洋風の街並みを眺めていた。
それは普通の光景ではなかった。
西洋風の建築物が日本人の僕にとって馴染みがないからだ、と言いたいわけではなく、
異様な雰囲気が漂っているのだ。
街の中央にそびえた無機質な塔から、街中のいたる所に謎のケーブルが垂れているし、
おまけに奇妙な物体がいくつも空を飛び交っている。
眺めているうちに、その光景の正体は『Half-Life 2』でも見たCity 17とかいう街だと思い出した。
グラフィックがあまりにも進歩しすぎていて、しばらく気が付かなかった!
『Half-Life 2』のグラフィックは、当時としては「次世代レベル」だったらしいけど、
最近はじめて遊んだ僕にとってはそうでもなかったのだ。(当たり前)
この光景が普通のモニターに表示される映像ではなく、現実と同じような立体感と臨場感でそこにある事実が異常すぎてさらにさらにビビった。
はっきり言って最新のAAAタイトルと比べても遜色がないくらい綺麗だし、
なけなしの貯金から5万円をはたいて買ったOculus Questがドラえもんのひみつ道具みたいに思えた。
20年前、マリオ64や時のオカリナで3Dゲームの凄さを実感したという当時の人たちは、今の僕と同じような気持ちになったのだろうか?
そのとき僕は幼かったので、その衝撃は実体験としては味わっていない。
(技術的な革新抜きにしても、遊んでみたら面白さや完成度の高さに驚いたし、3Dマリオや3Dゼルダのファンにはなった)
なんというか、ゲームが次のステップに進むはじまりの一歩を目撃した気分だ。
物理演算を作り込んだ『Boneworks』は確かに革新的だったし、
Valveがあのゲームに遅れを取っている部分はたしかにあるんだけど、
ポリゴンはPS2みたいにカクカクしてるし、延々と続く同じような光景にも正直うんざりした。
VRゲームは、VRゲームであることを言い訳に、グラフィックの作り込みに関しては妥協してるものが多い印象がこれまではあったけど、
『Half-Life: Alyx』の登場によって今後求められる品質が一気に引き上げられたように思う。
いま、3時間半プレイしてチャプター3の途中まで進めたところだけど、
このゲームは間違いなく今年のゲームオブザイヤーで常連になるだろう。
今回は序盤どころかスタート直後の話で終わっちゃったけど、
ゲーム全体の詳しい感想についてはクリアしてから書こうと思っています。
それでは。
『ゼルダBotW』続編が新たに見直すべき「アタリマエ」について
2014年6月に開催された「Nintendo Digital Event」にて、
青沼英字氏が「ゼルダのアタリマエを見直す」と宣言したとき、
僕は少しだけ不安な気持ちになりました。
なぜなら、一本道だからこそ実現できていたシリーズの醍醐味、
「所持アイテムの増加に応じて複雑になる謎解き」を捨ててしまうということだから。
マンネリ化の解消を目指す開発チームの意図は汲みつつ、
「本当に大丈夫だろうか…」と心配したのは僕だけではなかったはずです。
結果的に、大丈夫すぎだったことはみなさんもご存知でしょう。
メディアやプレイヤーに高く評価され、ゲームオブザイヤーを獲得しましたし、
2019年12月末時点で1780万本以上もの売上本数を記録しました。
なぜここまでの実績を残すことができたのでしょうか。
それは、『ゼルダBotW』が「ゼルダのアタリマエ」だけではなく、
「オープンワールドゲームのアタリマエ」を見直したからです。
オープンワールドと呼ばれるジャンルはもともと、
『GTA』や『TES』など、海外スタジオ製ゲームの活躍が顕著でした。
広大な世界を緻密に作りこんだオープンワールドというジャンルは、
「次世代」として認められるようになり、『Fallout: New Vegas』の発売当時には、
一本道な構成が目立つゲームを揶揄するような広告が打たれたことすらありました。
しかし、これらのゲーム体験は本当に自由だったのでしょうか。
たしかに、山ほど詰め込まれたサブクエストや、分岐するシナリオ展開など、
プレイヤーが選択できる要素は無数に用意されていますが、
ゲームプレイの流れとしては「ミッションの受注→マーカーや道のりの表示に従って移動」というのを繰り返すのが普通でした。
コンテンツの物量を増やし、「どれから遊ぶか」という選択肢は提示できても、
プレイヤーがコンテンツを選んでからは一本道なゲームプレイが展開されるというわけです。
『ゼルダBotW』は、この「オープンワールドゲームのアタリマエ」というべき現象を見直しました。
・壁のぼりアクションやパラセールでの滑空によって移動の制限を撤廃。
・定められた順序のないメインクエスト攻略。
・謎解き用アイテムを序盤で全て与えることでダンジョン攻略の順不同化を実現。
→シリーズ恒例だった所持アイテムの増加に応じて複雑になる謎解きは無くなり、
代わりに物理エンジンや化学エンジンの「掛け算の遊び」によって奥深さを確保。
・最小限に抑えられた、目的地を指定する用途でゲーム側から提示されるアイコン類。
・ 「思い出の場所」を巡り過去の記憶を見ていくことで理解するストーリーテリング。
このように要素を組み立てたうえで、
プレイヤーの視線誘導を意識した地形、ロケーションの距離感などを、
300人体制でのテストプレイによって綿密に調整し、フィールドを作り込むことで、
『ゼルダBotW』はプレイヤーがひたすら能動的に探索することの出来る、
「ノンリニアなゲームプレイ」を提供したのです。
『ゼルダBotW』のゲームデザインは、端的に言うと滅茶苦茶合理的だと思います。
「遊んでいる人が好きな順番でひたすら探索できるゲームがあったら絶対面白い」
という発想を実現するために、ピュアにデザインされているゲームだからです。
では、そんな『ゼルダBotW』の続編が新たに見直すべき「アタリマエ」とは、
一体なんなのか!?
ここまで読んだ暇な人が何人いるのか分かりませんが、書いていこうと思います。
ずばりそれは、「ストーリーのアタリマエ」です。
救うべき姫がいるし国もある、というストーリーのアタリマエ。
『ゼルダBotW』ではチュートリアルを終えると、ハイラル王によって、
「ガノンを100年間抑え続けている姫の開放」という使命を託される事になります。
ついでに一緒にパラセールも受け取って、はじまりの台地から飛び出してうきうきの大冒険へと駆り出すわけです。
ほとんどのプレイヤーがそうだったと思うんですが、この瞬間からゼルダ姫の救出が脳裏によぎるまで、50~100時間くらいはありましたよね?
ゲームシステム上ではいつでもガノンに挑むことは出来るけど、
ひたすら寄り道を楽しんで、それに飽きてきたタイミングでハイラル城に向かい、
ゼルダ姫を助けエンディングへ、という流れだった人が殆どでしょう。
正直言ってゼルダ姫を助けたカタルシスみたいなものはあまりありませんでした。
シームレスなゲームプレイを楽しんでくれ、というコンセプトと、
ゼルダ姫の救出というストーリーが噛み合っていないからです。
なんども言っているように『ゼルダBotW』は合理的に組み立てられた傑作ですが、
ここだけはいびつです。
この問題を解消することができれば、
『ゼルダBotW』続編はさらなる傑作評価を得ることが出来るのではないでしょうか。
「シームレスなゲームプレイ」というコンセプトから一旦離れて、
ムジュラ的な外伝作になる可能性もありますけどね。
おわり